“研究室発ベンチャー”の強みとは?「量子コンピュータ」「量子アニーリング」に取り組む2社が見据える、社会実装への道のり

近年、「量子コンピュータ」「量子アニーリング」という言葉をよく聞くようになった。

しかし、マーケティング目的のキャッチフレーズだけが先行している印象も受ける。

「量子コンピュータ」「量子アニーリング」は、いかなるポテンシャルを秘めた技術で、社会実装はどの程度進んでいるのか。本記事では、量子アニーリングを活用し、企業活動における最適化問題の解決に取り組む株式会社Jijの代表・山城悠氏と、量子コンピュータを活用したソフトウェアを開発する株式会社QunaSysの代表・楊天任の対談をお届けする。「量子コンピュータ」「量子アニーリング」のバズワード化への警鐘、その実質的な活用ポテンシャル、そして研究室発ベンチャーならではの強みと課題まで徹底討論した。

(聞き手・構成:小池真幸、撮影:岡島たくみ

バズワード化する「量子コンピュータ」。その技術ポテンシャルと、社会実装の進展度合い

–––まずはQunaSysの取り組み内容について、話を伺います。そもそも「量子コンピュータ」とは、どういった技術なのでしょうか?

株式会社QunaSys代表・楊天任

楊天任(以下、楊):いきなり一番重い質問がきましたね(笑)。これは本当に難しくて、量子力学の大家であるリチャード・P・ファインマンさんが、「もしも量子力学を理解できたと思ったならば、それは量子力学を理解できていない証拠だ」と言っていたくらい。

山城悠(以下、山城):量子コンピュータは、量子力学という我々の直感に反する学問に立脚してるので、説明が難しいです。

–––では、「量子コンピュータ」の定義は説明できない…?

楊:というわけにもいきませんから(笑)。量子コンピュータは、量子力学を積極的に活用した計算機です。

たとえば「0」と「1」をとり得るビットが3つあったとすると、(0,0,0)、(0,0,1)から(1,1,1)まで、2の3乗、すなわち8通りの状態を取る可能性がありますよね。いま我々の身の回りにある古典的なコンピュータだと、この8パターンのうちどれか1つを表すことになるのですが、量子コンピュータは、8個すべてを同時に表すことができるんです。

株式会社Jij代表・山城悠氏

山城:つまり、「どちらも重ね合わさっている状態が許される」ということです。これを端的に表すものとして、「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験があります。

ふつう猫は「生きているか、死んでいるか」ですよね。ですがその猫が、「量子的な猫」だったとしましょう。量子的な猫は、死んでもいるし、生きてもいる。いわば「状態が重ね合わさっている」状態なんです。僕らが「観察する」という行為を取ると、どちらかの状態に固定されてしまうのですが、観察しない場合は、どちらも重なり合ったままでいられるんです。

–––量子技術は、どういった分野で活用されているのでしょうか?

山城:コンピューターから半導体まで、広く使われています。

楊:量子コンピュータができると、計算パワーが大幅にアップします。たとえば、タンパク質の構造を量子センサーと組み合わせて、オンデマンドで個々人に最適な薬の構造を量子コンピュータで見つけて合成できたら、製薬技術に大きなブレークスルーが訪れます。小型大容量の全固体電池、高効率の太陽光電池などの設計、製造の材料シミュレーションにも、広く使える。他にもモーターの設計などに使われる電磁界解析、さらには暗号の解読技術まで、さまざまなジャンルに応用できます。

僕らQunaSysは、「ゲート方式の量子コンピュータ」と呼ばれる、GoogleやIBMが作っている量子コンピュータに取り組んでいます。「最初のアプリケーションは、材料のシミュレーション分野で生まれるだろう」と言われており、現在は主に化学メーカーとタッグを組み、素材のシミュレーションなどに活かす方法を模索中です。

「コンピューターサイエンスでいえば、真空管ができたくらいのフェーズ」数十年スパンでの社会実装を見据える

–––今後も、どんどん社会実装は進んでいく?

楊:そうですね。少なくともゲート方式量子コンピュータは、量子ビット数の増加に伴い、今後10〜20年で大きく実装が進んでいくでしょう。

山城:とはいえ、最近よく語られるブロックチェーンや5Gといった技術と比べると、実用化までのスパンは非常に長いです。ここ数年で幅広く社会実装が進むレベルではないです。


楊:量子コンピュータは、まだまだハードづくりやアルゴリズム構築への障壁も高く、ブロックチェーンのようにアプリケーションづくりが盛り上がるような段階ではありません。とはいえ、「3年後には最初の面白いアプリケーションが出て、20年後には大きく社会実装が進んでいる」状態を目指し、日々研究開発に取り組んでいます。

–––コンピューターサイエンスも、研究開発にはじまり、だんだんと社会実装されていった歴史がありますよね。そうしたコンピューターの歴史と比較すると、いま量子コンピュータはどのくらいのフェーズなのでしょうか?

楊:コンピューターサイエンスの歴史でたとえると、真空管ができた段階くらいだと思います。0か1かを決め、それを保持して計算するための根幹である真空管が、まず出てきました。その後、トランジスタやICチップへと進化していくわけですが、もとはといえば「研究者が、手で計算しきれないから使う機械」にすぎなかった。計算を途中で間違えたり、真空管が壊れたりするため、現代の我々から見ると無用の長物と思われそうですが、それでも確実に科学の発展を支えてきました。

量子コンピュータもまさに同じようなフェーズで、ようやく「産業的に活かせそうなデバイスが登場する」となったところです。

山城:そもそも量子力学自体は、産業革命の時代に発見された技術です。当時は製鉄に関わる技術だったのですが、地道に研究が重ねられ、コンピューターサイエンスとかけ合わさって生まれたのが、量子コンピュータというわけです。

量子コンピュータとは、全くの別物。Jijが取り組む「量子アニーリング」技術

–––ありがとうございます。続いて、Jijの取り組みについても伺わせてください。量子コンピュータに取り組むQunaSysとは異なり、「量子アニーリング」という技術を研究開発されているのですよね?

山城:はい。量子アニーリングマシンは、量子コンピュータ上で動く最適化アルゴリズムである、量子アニーリングを動かすことに特化しています。

楊:時おり、両者を同一のものとして扱っている文章を見かけるのですが、これらを混同すると正確な理解を妨げます。ともに量子力学を活用した次世代計算機技術ではありますが、動作原理や対象とする問題が異なっています。

量子コンピューターは、量子ビットをひとつひとつ高精度に操作していきます。ですので、現在実現しているビット数は20程度。一方で量子アニーリングは、ビットを並べてビット間の相互作用を決め磁場をかけて結果を得るので、比較的実装しやすく、現在最大で2,000ビットあります。

–––量子アニーリング技術を使い、Jijはどのような課題解決に取り組んでいるのでしょうか?

山城:「組合せ最適化問題」と呼ばれる問題に取り組んでいます。社会課題として必要な最適化問題を、量子アニーリングのアルゴリズムを使って解こうとしているんです。

–––具体的に、どういった分野の問題に取り組んでいるのでしょうか?

山城:領域にはこだわらず、手広くやっていますね。なかでもメインで取り組んでいるのは、「インフラ」「物流」「通信」。電力の配分方式を決めるためのスケジューリング、物流業界における配送スケジュール決め、通信基地を立てる場所の策定などにおいて、たくさんの組合せ最適化問題が発生しています。

楊:QunaSysは一旦、化学メーカーに絞っているので、その点は違いがありますよね。

山城:QunaSysが取り組んでいる量子コンピュータのアルゴリズム「NISQアルゴリズム」は、化学領域でまず役立つだろうと予測が立っていますからね。逆にいえば、僕らが取り組んでいる量子アニーリングによる最適化は、何がキーの領域となるのかがまだ判明しておらず、そこを探すためにも手広く取り組んでいるんです。

高度な専門知識の「掛け合わせ」が必須。大学発ベンチャーの持つ強みとは

–––QunaSysとJijは、ともに研究室発ベンチャーですよね。アカデミズムを起点としているからこその強みを、教えていただけますか?

楊:まず量子コンピュータは、「実際に何かの役に立った」「スパコンを超える計算が可能になった」といった事例がまだない点が重要です。量子ビットが大量にあれば多くの分野で役に立つことが分かっているのですが、この数年の少ないビットを、どのように使えばスパコンを超える計算が可能になるかは自明ではありません。ですので、物理学、化学、機械学習のプロの専門家が集まって、一歩ずつアルゴリズムの改良を行い、面白い使い方を世界中で考えているのが現状です。

高い専門性を持つ研究バックグラウンドのあるメンバーを多く抱えている点は、私達の大きな強みです。このような新しい計算手法の考案や改良を行うためには、量子情報や量子化学の基礎理論を中心とした分野を深く理解しないといけないので。

だから物理、化学、数学、情報科学といった分野における何らかの研究のバックグラウンドを持たず、「量子コンピュータをちょっと触ってみた」程度の人は、この技術の種を社会実装することができないでしょう。量子コンピュータの実用例が増えてきたら、「さまざまな他分野へも応用してみよう」という柔軟な発想が求められる段階に到達するのでしょうが、まだその段階ではありません。

山城:量子アニーリングもまさに同じ状況ですね。大学の技術がないと、そもそも計算が動かない。

また量子アニーリングには、量子力学だけでなく、統計力学、数理最適化の専門知識も必要です。収束のしやすさや、パラメーターの探し方、また問題の持っている性質を知るために、統計力学的なアプローチが求められる。さらに解決したい問題を量子アニーリングマシン扱える数式の形にうまく定式化する必要があり、ここに数理最適化のノウハウが活かされています。「少しコンピューティングの知識がある」レベルだと、扱うのが非常に難しいんですよ。最近は「量子アニーリングに、高度な専門知識は必要ない」と述べる言説も見かけますが、完全なる誤認識です。

楊: アニーリングは、とっつきやすいんです。だけど、決して簡単ではない。

僕も遊んだことありますが、有名な量子コンピュータ「D-Wave」は、8都市を回る「巡回セールスマン問題」を簡単に解けるはずなのですが、全然正しい結果を返してくれません。山城くんにヘルプを求めると、聞いたことない手法名を言いながらパラメータを調整してくれて、魔法のようにD-Waveが使いこなせました。彼らが使っているD-Waveには、調整できるパラメータが多くあり、統計物理の素人だと、全く使いこなせません。ゲート型量子コンピュータの方が簡単だと思ってしまいました。(笑)

山城:新しくできた技術を、「使えない」と言うのは簡単です。専門家だからこそ、技術の可能性や改良の余地を理解し、社会実装に向けて取り組めます。これは大学と密接に繋がっている大学発ベンチャーが、果たすべき役割だと思います。

–––量子力学と統計力学の専門知識を掛け合わせで持った人材は、国内にどの程度いるのでしょうか?

山城:そこが本当に問題で、ほとんどいないんですよ。育成するにも時間がかかる。現状は、量子力学、統計力学または数理最適化のうちいずれかの知見を持った人材を連れてきて、協力しあいながら開発を進めていますが、そのすべての知見を持った人材も、どうしても一定数は必要になります。

楊:量子コンピュータも、似たような状況ですね。ターゲットとしている領域は化学ですが、使っている技術は物理学や情報科学の領域なので、それらの知見を兼ね備えたエキスパートが必要です。

山城:アカデミアにはそうした優秀な人材がいないわけではないのですが、なかなか研究室から出てこないんですよね。

楊:だからこそ、もっと研究を社会実装することの面白さを広めていかなければと思っています。PR、がんばらなくては(笑)。

研究者からの信頼が、致命的に重要。いかにビジネスとのバランスを取るか

–––ちなみにお二人自身は、なぜアカデミアを飛び出して起業されたのでしょうか?

山城:そもそも社会とつながる研究がしたくて量子アニーリングに取り組んでいた折に、顧問の大関先生が取り組んでいた、社会実装を前提とした応用研究のプロジェクトに参加する機会をいただけたんです。そのプロジェクトが発端で、起業することにしました。

楊:僕は機械学習の研究室に所属していました。企業のインターンに参加してみるようになると、大学で追っている最先端の技術と、社会の間に大きな隔たりがあることを目の当たりにし、研究の社会実装に強い関心を抱きはじめました。時代の変化が早くなるにつれ、大学の技術を社会実装し、産業利用する上での問題点について、大学が解決策を考えるサイクルが速くなると思っています。そうしたサイクルをこれから必要とするのが、量子コンピュータ分野だと思い、日本を代表する先生方に巡り会えたこともあり、起業に至りました。

–––研究を社会実装するベンチャーを経営していくうえで、ロールモデルとなる企業はありますか?

山城:Preferred Networksですね。

楊:研究者とエンジニアが多くいる環境で、研究者が発掘、推進した最新技術を、エンジニアリング部隊が社会実装している。これからの先端技術は、こうした形で社会実装されていくべきだと思います。

–––お二人ともいち研究者から起業されたわけですが、ビジネス面で苦労されているポイントがあれば教えてください。

山城:僕らが普段やりとりしている企業のご担当者さまは研究者ではないので、研究者同士で協業する時とは異なったコミュニケーションの取り方をする必要があることに苦労しています。技術的な詳細に立ち入らずに、ざっくり何ができるのかを話し、先方に関連しそうな課題を出してもらい、実証実験に移る。僕らだけでは、そもそも大企業がどのような事業課題を抱えているのかも分からないので、そうした上流の話し合いからスタートしています。

楊:とはいえ、常に可能性は感じてもらっています。特に僕らは研究者と一緒に取り組みを進めることが多いので、技術の内容を説明するだけで、「現場でなにか活かせそうだ」と思っていただけている感触があります。現に、実証実験に進むケースも少なくないですしね。

ただ、やっぱりビジネスの知見が足りないと感じることは多いです。技術は分かっても、それがどのくらいの市場になるのか、明瞭に理解するのはハードルが高い。

山城:研究者集団だからこそ、キャッチーな言葉で打ち出すのが苦手ですし、しっかりと経緯を説明したいんですよね。

楊:似た事例として、「AI」を打ち出す企業が多いですが、AIの定義を理解せずにこの言葉を使っている人も一定数いるような印象があります。

僕たちのような大学発ベンチャーは、研究者からの信頼を得ることが決定的に重要なんです。いくらマーケティングを頑張っても、研究者からの信頼を得られなければ、要である専門家人材が獲得できない。お客様だけ増えても、意味がないんです。QunaSysでは6月からCOOとして化学系メーカーのコンサル経験が豊富な方が入るのですが、結局は地道に技術開発を進めながら、そうしたビジネス感度の高い人と、ビジネスインパクトを考えながら技術開発の方向性を修正していくのが良いかもしれませんね。

課題は山積。今後2社が取り組む、技術・ビジネス面でのチャレンジ

–––技術面・ビジネス面での、お二人の今後の構想を教えてください。


楊:技術的には、特に「ノイズ軽減」に取り組んでいきます。いまの量子コンピュータは、計算を間違えることもあります。そうしたノイズの軽減は、研究もかなり盛んになっているのですが、量子コンピュータを実用化するためには、我々も取り組む必要があると思っています。

ビジネス面でいえば、将来的にはアルゴリズムをライセンスして、マネタイズするモデルを構築していきたいです。「量子コンピュータを使うならQunaSysのこの手法だよね」と認識してもらえるようなアルゴリズムを作れば、ビジネス的にもポジティブだし、社会にも役立つと思っています。

どちらにせよ、この領域に関する深い知見を持った技術者が必要なので、この記事を読んで興味を持ってくれた人は、ぜひ気軽に連絡してほしいです。

山城:僕らも、デバイス依存のノイズや、使えるビット数が小さくなってしまう問題を抱えているので、こうした技術課題には取り組んでいかなければいけません。

将来的には、今オープンソースで出している組み合わせ最適化のプラットフォームから得た知見で、キラーアプリをつくりたい。ですので、量子力学や統計力学に造詣の深い研究者はもちろん、プロダクトのインフラ周りを整えてくれるエンジニアが必要です。僕らの取り組みが気になる方がいれば、ぜひお話ししましょう。

–––最後に、読者の方に一言メッセージをお願いします。

山城:2つの量子技術の現状を赤裸々に語ったので、現状を悲観的に捉えた方もいるかもしれません。ただし人類はこれまでも、古典計算機を作ったり、飛行機を飛ばしたりして、フロンティアを切り拓いてきました。これから取り組むべき新たなフロンティアのひとつが、「量子の制御」です。ピンと来る方は少ないかもしれませんが、交通の最適化によるエネルギー消費量を抑えたり、人工光合成材料を見つけられた時のインパクトは計り知れないです。

楊:量子技術には、政府からの投資だけでも、アメリカで5年間で1,000億円、EUで10年間で1,000億円以上が投下されると決まっており、ハードウェアとソフトウェアの両面で、これから多くのブレイクスルーが出てくるでしょう。私達は、きわめて楽観的です。実現が不可能だと証明されるまで、「なにかしらの方法はあるだろう」と信じ、ひとつずつ障壁乗り超え、社会実装に取り組んでおきます。それができるのは、研究者を中心としたプロフェッショナル集団だけです。

QunaSys 採用サイト: https://qunasys.com/career
Jij採用サイト:https://j-ij.com/career-jij.html