量子コンピュータが社会を変える日に向けて

本稿では、米国カリフォルニア州のマウンテンビューにて、2018年12月10日から12日の日程で開催されたカンファレンス、Q2B: QUANTUM FOR BUSINESS 2018 に参加して知ったこと、そして2019年の量子コンピュータ業界の発展に必要なことをまとめます。

Q2Bとは

Q2BはQCwareという量子コンピューティングのベンチャーが主催する量子技術とビジネスをつなげるカンファレンスで、今回は昨年2017年に続き2回目の開催です。
ちなみに、QCwareは、GoogleがUCSBのマルチネスを抱え込み量子コンピュータのハードウェア開発に乗り出した、2014年設立された、量子コンピュータのソフトウェアベンチャーです。
量子機械学習分野の研究者Iordanis Kerenidisが参加していたり、なんといっても、量子計算分野のスタープレーヤーである Scott Aaronson が顧問についていたりします。
2017年のQ2Bには私藤井は参加していませんでしたが、大変盛り上がったとのことです。特に、CalTechの教授で量子情報分野の旗振り役の John Preskill 教授が、NISQ (Noisy Intermediate Scale Quantum)という言葉を定義し、近未来的に実現する量子コンピュータをどのように活用するか、という基調講演を行い話題になりました。詳しくは、その時の講演の動画やそれをまとめた論文Qmedia記事などを参考にしてください。

今回、Q2Bにはもともと参加の予定はなかったのですが、有難いことに、Q2Bの政府パネルというセッションへの登壇の依頼を受け、日本政府を代表して量子技術への取り組みや課題などについて発表する機会をいただきました。
参加者は、全部で17カ国、366人で、日本からも大学や研究所・量子コンピュータユーザー企業・シンクタンクなどのメンバーが参加しました。

全体的な印象

ある昨年度参加者によると、今年は昨年とは一変して全体的に量子コンピュータへの過剰な期待を抑制しようという印象を抱いたそうです。私自身は、もともとアカデミック寄りの目線なので、特に抑制しようとしていると感じるよりも、過剰な煽りはほとんどなく実情に近い健全なカンファレンスだなと感じました。また去年は、量子コンピューティングのビジネスへの応用という側面のみにフォーカスしていましたが、今回は量子コンピューティングを含めた量子技術全般を強調している印象がありました。

量子コンピュータのハードウェア開発については、Google, IBM, Rigettiといった超伝導量子ビット勢からは特段のサプライズはありませんでした。今回唯一サプライズだったのは、イオントラップ方式で量子コンピュータの実現を目指す、C. Monroe率いる IonQ がベンチマーク結果を Q2B でお披露目したことでした。こちらついては後段で述べさせていただきます。

John Preskill教授の講演

John Preskill教授の講演では、まず、量子コンピューティングについて、去年と同様に、量子コンピューティングの可能性、現状、科学的な重要性(transformative effect on human society)についての話がありました。

その後、意外だったのは、かなりの時間を量子コンピューティング以外の量子技術に言及していたことでした。特に、量子センサーについては、PNT(Position, Navigation, Timing)に対して、量子技術による高性能なセンサー、光格子時計、量子慣性センサーなどへの期待が語られていました。
また、次のステップとして、エンタングルメントやスクイージング、そして量子誤り訂正などにより、高度な量子技術による次世代量子センサーも、前例のない(unprecedented)可能性を秘めていると述べていました。

アメリカ空軍William Cooley少将の講演でも、量子センシング・量子通信への期待が語られました。

量子コンピュータハードウェアの状況

Google、IBM、Rigettiの超伝導量子ビット勢からは特にサプライズな発表はありませんでした。

ローマは一日にして成らず。

Googleは72量子ビット、Bristlecone のキャリブレーションをやっているとのこと。量子ビットの周波数が不純物と共鳴する周波数の領域では、エネルギーを不純物に開放してしまい、量子ビットがリセットされて、量子ビットの寿命を短くしてしまいます。
量子ビットの周波数を決めたり、結合のために動かす周波数領域を選択するためには、このような地雷を避ける必要があります。しかもこの地雷は時間的に移動するそうです。72個も量子ビットがあるのでこのキャリブレーションが大変だそうです。このような問題はみんなが今後抱えるであろう問題であり、Googleはみんなで協力して解決しよう、とのメッセージを発信していました。
実際、Googleのマルチネスが過去にいたNIST(米国)を盟主として量子コンピュータ開発と応用のためのコンソーシアムが今年の9月に設置され、大学、研究所、企業らが協力して共通インフラの開発や技術的問題の解決方法の模索、知財、サプライチェーン、技術予想、量子技術の教育等を組織的に行っていくそうです。
コンソーシアム設立アナウンス(NIST HPが閉鎖中のためWeb archive)

IBMからはqiskitの様々な機能や、現在稼働しているチップの紹介がありました。様々なチップ、そして時にはまったく違う方式の量子ビットの性能を比較する局面で、よく量子ビット数だけが注目されますが、その精度も重要な要素です。
IBMでは、量子体積(quantum volume)という量子ビットの量と質(そして基本演算のタイプ)の両方を測る性能指数が利用されています。これは簡単に説明すると、N量子ビットのマシンでDステップのある量子計算を精度良く計算できるとしたときのNとDの最小値を量子体積と定義するものです。
量子ビットの数がすくなくても、量子演算の精度が低くても量子体積は小さくなります。興味深いことに、無料で公開されている16量子ビットのチップよりも、同じく無料で公開されている5量子ビットのチップの方が量子体積は大きいそうです。そして、IBM Q Hubで有料で利用できる20量子ビットのチップはそれらより大きな量子体積を有します。

Rigetti Computingからは彼らの新しいチップ、量子ビットの2次元配列、三次元配線の紹介があり、現在完成した16量子ビットの性能が公開されました。
このチップは一部の研究機関・スタートアップ等に開放しています。QunaSysでも新しく出す論文のアイデアの実証実験に利用しています。結果を見る限りまだ、16量子ビット全て使って有意義な計算をすることは厳しそうですが、今後の性能改善プランを説明していて性能改善が期待できそうです。
また、量子プロセッサとそれを制御する古典プロセッサを出来るだけ近くに配置し、通信の遅延を減らす取り組みが紹介されました。
彼らは量子データセンターと呼んでいます。量子コンピュータから結果が返ってくるのはミリ秒未満(現在のコンピュータでは量子ビットの寿命である100マイクロ秒以上計算してもノイズのため有意義な結果は得られない)ですが、現在主流の量子古典ハイブリッドアルゴリズムでは、古典コンピュータと量子コンピュータの間でデータをやり取りする必要があり、ほとんどの計算時間が通信時間になってしまいます。
Web APIからジョブを投げるのではなく、量子データセンタ内のコンピュータからジョブを投げることでトータルに計算時間を短縮しようというのが狙いです。
他にもパラメータのままコンパイルする事で自動的に複数のパラメータについて計算を実行したり、量子ビットを強制的に初期化する事で一桁から二桁計算時間が短縮できるそうです。
実際、実験のために大量のジョブを投げてみると初期化や測定の時間が短く、効率よく量子古典ハイブリッドアルゴリズムが動かせることを体感できます。

IonQ、神が創りし量子ビット

今回最もサプライズだったのは、Christopher Monroe 率いるイオントラップ方式の量子コンピュータベンチャー、IonQ からの発表でした。量子コンピュータといえば、超伝導量子ビットがよく話題に上がりますが、超伝導量子ビットよりも以前からイオントラップ方式の研究が進められていました。イオントラップは精密な時計を作る技術としても研究されており、精密な操作には昔から定評があります。
特に、チップ上にファブリケーションして量子ビットを人工的に作る超伝導量子ビットとは異なり、原子は自然界が作った量子ビットであり、不均一性も歩留まりもありません。うまくイオン(電荷のある原子)を捕まえ安定化されたレーザーを照射することがポイントになります。

イオントラップチップの画像とイオンが一次元に並ぶイメージの合成画像(Source)

今回、IonQは、160個のイオンを捕獲し、そのうち79量子ビットに対して1量子ビット演算を99%以上の精度で実現しています。また、11量子ビットについてその全ての2量子ビットペアに対する2量子ビット演算を平均98%の精度で実現しています。
イオンは電荷の反発力で全てのイオンが振動モードを共有しています。この振動モードを利用して遠く離れたイオン間にも2量子ビット演算を実行できます。つまり、全結合の量子コンピュータを実現できるのです。
2次元チップ上の量子ビットは隣り合ったものしか結合できないため、離れた2量子ビット間の演算には量子情報のスワップコストがかかります。しかし、全結合を実現するイオントラップ方式ではそれが不要になります。
一箇所に捕獲できるイオンの数が限られる(とはいえ160イオンを捕獲している)というのが潜在的なボトルネックですが、NISQ時代には十分威力を発揮しそうです。
また、イオンをシャトルしたり、光で接続する技術も研究されており、大規模な量子コンピュータに向けても有力な候補であることは間違いありません。

政府パネルとその後の反応

政府パネルでは、以下の方々と各国政府の取り組みや特色の紹介が行われました。

  • 米国 - Jacob M. Taylor - Assistant Director for Quantum Information Science at the Office of Science and Technology Policy
  • EU - Prof. Dr. Tommaso Calarco - Director of the Institute of Quantum Control at Forschungszentrum Jülich, Professor at the University of Cologne, Institute for Theoretical Physics and Chairman of the European Quantum Flagship Community Network.
  • イギリス – Evert Geurtsen - Co-Director User Engagement, Networked Quantum Information Technologies (NQIT), Oxford University
  • オランダ - Freeke Heijman - Director of Strategic Development, TU Delft / QuTech and national coordinator for Quantum Technologies – Ministry of Economic Affairs and Climate Policy

私は、IPA(情報処理推進機構)の人材育成プロジェクト、未踏ターゲット事業(ゲート型量子コンピュータ)のプロジェクトマネージャーという肩書きで参加しました。
日本からは、文科省と経産省における量子技術および次世代コンピューティングに関するプロジェクトを紹介しました。また、私も1期生として参加しているJSTさきがけプロジェクト(若手PIが約30名、各自の個人プロジェクトを運営)や、IPA未踏ターゲット事業(量子アニーリング・ゲート型量子コンピュータ)の人材育成プロジェクト(学生、企業エンジニアなどを含め33人)について紹介しました。
そして、日本国内における産学連携の取り組みやスタートアップ等について網羅的に報告しました。特に、人材育成の重要性については後のパネルディスカッションでも話題に上がり、各国政府も重要だと考えていたようです。
また、パネルディスカッション後に来た問い合わせの中でも人材育成プロジェクトに関する質問が多く、量子技術分野における研究者や開発者の育成は非常に重要な課題であると感じました。

Science First の意味

パネルディスカッションで特に印象に残ったのは、今後の業界、とくに産学連携やスタートアップの展望についてのコメントで、米国代表の Jacob Tayler が

"I want to be clear, most quantum computing startups will not be around in 10 years”

と言っていたことでした。Tayler は、つい先週国会を通過しトランプ大統領によってサインされた法案、National Quantum Initiative Act(5年、12億ドルの米国量子技術国家プロジェクト)の取りまとめ役を行っている研究者です。

トランプ大統領がNational Quantum Initiative Actにサインした。

この National Quantum Initiative の戦略概要では、Science first が強調されています。IT企業が量子コンピュータのハードウェア開発に乗り出し、多くのソフトウェアベンチャーが立ち上がり、これからまさに産業化、といったところに釘を刺すような形です。帰国後、Science first の真意について調べていると、興味深いインタビュー記事を見つけました。

この記事で Tayler は、

"We are still in discovery mode with respect to QIS(Quantum Information Science),even though you see these countervailing pressures of industrial engagement.”
我々は量子情報科学については、現在も新規発見を行っているという段階です。それは、現在目の当たりにしている産業化への大きな流れがあるとしてもです。

と言っています。確かに、現在、量子コンピュータ、そして量子技術を産業に応用する取り組みが活発化していますが、近未来的にそれが実現するかどうかは不確実です。
また、既存の技術レベルのまま、単にエンジニアを集めエンジニアリングし、ソフトウェアデヴェロッパーを集め開発すれば、産業化、商用化ができるようなバラ色のフェイズでも全くありません。

例えば、NISQデバイスのアルゴリズムで有名なVQEをそのまま使うだけでは、まだ既存の古典計算機手法を超えることが難しいです。(図はあくまで目安)

アカデミアや研究所においての基礎研究からの新たな知見が生まれ始めると、新たに得られた知見を実装する産学連携スキームが必要になります。
そのスキームを通して、ハードウェアベンダーやスタートアップが成長していくでしょう。さらに実装された知見をもとに、実問題に応用する方法を潜在的なユーザーと模索を行うことも必要になります。現在、このような研究開発エコシステムができつつあるといった段階です。
このエコシステムにおいて、新たな問題の解決方法の模索や新規発見という基礎技術のアップデートは非常に重要なウェイトを占めています。このような中、安直に現在の量子技術をそのまま産業化・商用化できると判断をすると、失敗をするという警笛であると私は理解しました。
おそらく、量子コンピュータに関するスタートアップもたくさん立ち上がっていますが、新たなものを発見し、コミュニティーに貢献することができないところは10年後には残っていないでしょう。

だからこそ基礎研究に近い人間がスタートアップに参加する意義がある

私が量子コンピュータのソフトウェアのベンチャーをスタートアップしたいと思うようになったのは、2年半くらい前になります。
量子コンピュータが完全に SF (空想科学)扱いされていた2006年頃に量子コンピュータの実現を夢見て研究を始めた私にとって、最近の量子コンピュータのハードウェアの進展は心躍るものでした。
まさか、たった10年でここまでくるとは思っていませんでした。そのような時代を知っているからこそ、今後10年の進展もあまり心配はしていません。

一方で、現在の技術や理論、ソフトウェアだけで量子コンピュータが使い物になるかというと、全くそうではなく、地道な基礎研究開発が必要とされています。
このような状況の中で、大学発ベンチャーが基礎研究と応用の距離を縮めている世界の潮流に乗る必要を感じ、アカデミア側の研究者である私も、ベンチャーの一員として、量子コンピュータの発展に貢献すべきと感じたのがベンチャーの創業に至った一つの理由です。
もう一つは、日本のアカデミアは量子コンピュータの理論研究が他の物理学や情報科学分野にくらべ非常に脆弱です。量子コンピュータに興味を持ち、研究開発をしたいという学生は急激に増えてきていますが、アカデミアの体制はそう簡単には変化しません。
このような需要を受け止め、きちんとした研究開発や人材育成のできる場所を個々の大学の枠を超えて、しかも早急に作る必要があると強く感じていました。
そんな折に、東京大学で機械学習の研究をする学生さんであった楊くんを紹介して頂く機会があり、量子コンピュータのソフトウェアベンチャー QunaSys を2018年2月に創業するに至りました。
立ち上げる前から、論文をバリバリ出せるような強い研究開発集団による研究開発型のベンチャーでなければやらないということを決めていました。幸い、非常に優秀な学生さん・エンジニア・研究者が参加をしてくれており、すでに、QunaSysからいくつか成果を発表しています。

簡単にいくつかの成果を紹介すると、

  • 御手洗くんが提唱したNISQで行う教師あり学習Quantum Circuit Learning (Physical Review A)
  • 楊くんの「それぞれの原子間距離で、量子回路を最適化をするVQE効率悪くない?」という雑談から生まれた、量子回路の出力を汎化するというアイデア (arXiv)
  • QunaSysで行った合宿で、最適化のプロフェッショナル中西くんと御手洗くんが考えた複数の励起状態のエネルギーを一発で求める手法 (arXiv)

このようなNISQデバイスの産業利用に繋がりそうな面白い提案ができました。
特に御手洗くんが提唱したQuantum Circuit Learningは3月の公開後、1年足らずで22本の論文に引用されました。この論文で提唱した基礎アイディアは、これを元にした様々な手法の誕生に貢献しました。

Science first の一件があり、この研究開発型のベンチャーを目指したこと = We are still in discovery mode は間違っていなかったなと確信しました。

そして、QunaSysでは、現在も新しい提案プロジェクトが複数走っている他、潜在的な量子コンピュータユーザーと実用を見据えた共同研究を進めていてとても頼もしいです。

最後に

今回、幸運にも Q2B にて登壇させて頂く機会を得て、現在、量子コンピュータを取り巻く環境や、そこにおける自分の立ち位置などを振り返る機会に恵まれました。
こういった機会をいただきました関係者の方々には厚く御礼申し上げたいと思います。

2018年は目まぐるしく変化する1年でした。2019年は何が起こるか今からワクワクしています。はたして、量子超越は実証されるのでしょうか。1年後は稼働している量子ビット数は100を超えているでしょうか?今後も量子コンピュータは目が離せません。

2019年も思いっきり量子コンピュータにむけて前進してまいりたいと思います。

量子コンピュータが社会を変える日に向けて
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