量子コンピュータの金融応用の展望

量子コンピュータが実現すると、様々な産業・業界が影響を受けると言われている。Boston Consulting Groupのレポートでも、化学・製薬・IT(機械学習)・金融・流通・エネルギーといった業界が挙げられている。実際、昨年(2018年)12月の国際会議Q2Bには多種多様な企業が参加しており、量子コンピュータの持つポテンシャル・期待の高さが感じられた(量子コンピュータが社会を変える日に向けて)。

本記事では、早くから量子コンピュータに関心を示してきた金融業界について、量子コンピュータ実現時のインパクトをレビューしていく。(なお、素材化学への影響についてはこちらを参照されたい)

量子コンピュータ開発の現状と金融業界へのインパクト

本格的なレビューに入る前にまず、量子コンピュータ開発に関する現状について簡単に整理したい(詳しくは"量子コンピュータの現在とこれから"を参照)。現在開発が盛んに進められており、数年以内の実用が期待されている量子コンピュータはNISQ デバイス(Noisy Intermediate-Scale Quantum device)と呼ばれ、誤り訂正機能がなく、qubit数は100~200程度である。NISQで実行できるアルゴリズムは限られており、例えば100桁程度の大きな素数の素因数分解は実行できない。NISQではない、誤り訂正を実装した“真の”量子コンピュータも開発が進められているが、その実現は少なくとも20年以上後になると考えられている。

現時点では、NISQデバイスの金融業界の実務への有効な応用はあまり提案されていないというのが現状と言える。金融業界へ大きなインパクトがあると考えられるのは、やはり誤り訂正機能のある量子コンピュータであり、本記事でもそれをレビューしていく。もちろん、NISQ量子コンピュータの実現が間近に迫る中、世界各国でNISQ応用に関する研究開発が加速しており、NISQの金融実務への応用に関しても最新の研究の進展に十分に注意する必要があると思われる(例えば量子化学においては、従来の位相推定アルゴリズムに変わってVQE=variational quantum eigensolverが提案され、一気にNISQ応用が現実味を帯びるようになった)。

なお、本記事では、離散的な組み合わせ問題のみを対象にしたいわゆるアニーリングマシンについては扱わない。アニーリングマシンの金融業界への応用提案としては、

(取引量を離散化した)ポートフォリオ最適化

裁定取引サイクルの検出

などがあり、実用に向けた開発が進められている。

高速化される可能性のある具体的な実務

誤り訂正のある量子コンピュータを用いると、具体的に以下のような金融業界の実務が高速化ができると提案されている。

1. ポートフォリオ最適化

2. デリバティブの価格付け

3. リスク量の計算

「1. ポートフォリオ最適化」の論文は、連立一次方程式を指数的に速く解くことのできるHHL (Harrow-Hassidim-Lloyd) アルゴリズムというものを応用し、ポートフォリオ最適化として最も単純なMarkowitz型の最適化を行う手法を提案したものである。「2. デリバティブの価格付け」「3. リスク量の計算」の論文では、モンテカルロ法を用いたデリバティブ(金融派生商品)の価格付けや、ポートフォリオのリスク量(Value at Risk=VaR, Conditional Value at Risk=CVaR)の計算について、量子振幅推定というアルゴリズムを用いることで計算ステップ数が$N$から$\sqrt{N}$に改善することが示唆されている。

暗号解読・仮想通貨マイニングは高速化される?

加えて、量子コンピュータと金融の話題でよく名前が挙がる暗号解読と仮想通貨マイニングの高速化について紹介する。

暗号解読

1994年、Shorは素因数分解と離散対数問題を多項式時間で解く量子アルゴリズムを提案した。これらの問題は今日の社会で広く利用されているRSA暗号・楕円曲線暗号の基礎となっており、Shorのアルゴリズムは量子コンピュータによって暗号が簡単に破られてしまう可能性を示すものだった。しかし、このアルゴリズムを実行するには多数の誤り訂正用qubitと補助qubitが必要であり、現在に至るまで量子コンピュータが直ちに暗号技術の脅威になるとは考えられていない。例えば2012年のこの論文では、現実的な時間(1.8日間)で1024bitのRSA暗号を解読するのには、およそ4.5億個のqubitが必要であると概算している。また、bitcoinの安全性について論じたこの論文では、楕円曲線暗号を解読し他人のbitcoinを盗みとる攻撃を成功させるような量子コンピュータが完成するのは、最短でも2027年であろうと推計している。
なお、NISQデバイスについてはVariational quantum factoringという素因数分解の手法が最近提案されたが、こちらも現実に使われているような1024ビット整数の素因数分解となると数千個のqubitが必要になり、NISQでの実用化は難しいと考えられる。

仮想通貨マイニング

仮想通貨のマイニングは、ハッシュ関数という一方向関数(入力から出力を予測するのが困難)の出力が特定の値になるように、総当たりで入力値を探索することで行われている。この総当たり探索を、データベース探索の計算量を$N$から$\sqrt{N}$に高速化するGroverのアルゴリズムを用いて高速に行うというアイディアがある。前述のbitcoinの安全性に関する論文では、古典コンピュータのハッシュ値探索能力・量子コンピュータのハッシュ値探索能力の将来的な伸びを予想し、少なくとも2047年までは古典コンピュータの方が探索能力が高いままであろうと述べている。

まとめ

本記事では量子コンピュータが金融業界に与える影響について、具体的な提案手法を中心に紹介した。ここで紹介したアルゴリズムが実装されて実務処理を担うようになるにはかなりの時間がかかると思われるが、これからの発展を注意深く見守る必要があるだろう。

金融業界には、量子コンピュータによる加速の恩恵を得られる高頻度/高速/大規模なデータ処理が数多く存在する。そのため、今回紹介した以外にも様々な業務で量子コンピュータによる変革が起こると期待できる(例:量子機械学習)。また、推薦問題についてE. Tangが2018年に提案した”量子-inspired”古典アルゴリズム(既存の量子アルゴリズムを参考にした、従来より指数的に高速な古典アルゴリズム)のように、量子コンピュータに関する研究が古典コンピュータ="0ビット量子コンピュータ"に依拠した既存の金融分野を変革していく可能性があることも付記しておく。

量子コンピュータの金融応用の展望
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